学生生活・進路

OBOGメッセージ

世界の中心で、世界を書く
国際ジャーナリストに目覚めさせてくれた学部

峯村 健司(Minemura Kenji)
朝日新聞ワシントン特派員
(1997年卒業)

追いかけているのは世界

過激派組織「イスラム国」、緊迫する南シナ海情勢、暴発する北朝鮮......。米首都ワシントン米国の外交を取材しています。追いかけているのは世界。超大国アメリカは各地で起きている事に関わっており、世界中の情報が集まるまさに世界の「首都」です。記者会見をはしごし、膨大な報告書を読み込んでおり、気づくと数日間、ベッドで寝ていないこともあるほどです。でも、日本にいた時には見えなかった「世界」の動きが手に取るようにわかり、疲れも忘れるほど興奮する毎日です。

初めての海外渡航での思い出


会見でホワイトハウスに来るたびに思い出すことがあります。
 22年前の夏、生まれて初めての海外渡航でこの地を訪れました。学部の短期語学研修プログラムで、ワシントン郊外のメリーランド州立大学で研修を受けました。 それまでパスポートすら持っておらず、飛行機にも乗ったことがありませんでした。授業の合間に、ワシントンに繰り出し、テレビでしか見たことがなかった異国の光景に興奮の連続でした。 わずか1カ月余りでしたが、世界に目を向けるきっかけとなった人生の転機になる体験でした。

語学力や理論は国際ジャーナリストの強い武器に

自分の英語力の足りなさを痛感し、帰国後、リスニングとスピーキングの授業に力を入れるようになりました。各大学と合同で国際関係を研究する十大学合同セミナーにも参加し、国際政治の基礎や議論のやり方を身につけました。この時に得た知識や技術は、国際ジャーナリストとして強い武器になりました。北京特派員として6年間、中国の安全保障や外交を取材した時や、客員研究員として米ハーバード大に在籍した際も、語学力や理論を大いに生かすことができました。

一緒に世界の舞台に立つ日を

経済も人口も縮小する日本。みなさんの世代は世界とつながる機会や必要性が私たちとは比べものにならないほど高まるでしょう。本学部で、国際人となる「パスポート」を取って、一緒に世界の舞台に立つ日を楽しみにしています。

「人のため、世の中のためになるか」
これを地球サイズの広い視野で考える

大室 直子(Omuro Naoko)
WFP国連世界食糧計画
アジア地域事務所
民間連携推進マネージャー

(2004年卒業)

国際協力に貢献したいと思うように

私は日本の小さな田舎町で生まれ育ちました。父が英語教諭であり、母が仕事で海外に行くことがあったので、幼少のころより海外がほんの少しだけ身近な存在でしたが、大きな転機は中学の授業で元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが紹介されたことでした。それ以来、国連で働くということに漠然と憧れを抱くようになり、日本の外を見てみたいとの想いから高校時にニュージーランドに1年間の留学をしました。このときに異文化を肌身で感じた経験により大学では国際関係を学びたいという思いをもち、青山学院大学国際政治経済学部を選択しました。同時に、当時、日本が行った国際協力事業が現地住民の反発をかってしまったニュースを目にしたこともあり、本当に地元の人のためになる国際協力に貢献したいと思うようになりました。

NGOや国連の仕事にかけてみたい

Photo: WFP/Naoko Omuro

大学時代には「外交・国際公務指導室」という外交官や国際公務員を志望する学生有志団体に入室したことで、多くの優秀な先輩や社会問題に強い興味のある使命感を持った同志に会えました。学業のほかにも、NGOや国連機関でインターンシップの機会に恵まれ、「人のために何ができるか、常に世界に目を向けるNGOや国連の仕事に人生をかけてみたい」と国際協力への志を強くしました。その思いから米国の大学院に進学し、卒後、感染症対策の国際協力事業を行う財団法人に就職しました。初めての「仕事」としての国際協力。活動地における事業の立ち上げからその運営まで幅広く関わることで、仕事の基礎から徹底的に学ぶ機会を得られました。5年間の勤務中、南部アフリカにあるザンビア共和国に2年駐在し、国際協力の楽しさも難しさも肌で感じましたが、運営している事業が地元の人々の健康に寄与していることが確認できたときや、面と向かって感謝されたときはこの上ない喜びを感じました。

世界の飢餓に支援の輪を広げる

その後、外務省のJPO派遣制度により、現在の所属先である国連WFP(WorldFood Programme)で勤務を開始しました。入所1年目にはアフリカ最西端のセネガル共和国で食糧支援や学校給食事業の運営を行い、国連という大きな活動規模の事業に関わることや、食という人間の根幹のニーズを満たすお手伝いをすることのやりがいを感じました。その後、民間連携推進局に異動になり、現在はアジア地域において企業や個人のみなさまに世界の飢餓の実情をお伝えし、支援の輪を広げるという役割を担っています。世界の9人に1人は健康で活動的な暮らしを営むための十分な食糧を得られていない状況です。これを他人事ではなく自分ごととして捉えてもらえるよう、日々活動しています。

目標に向かって行動すること

今の仕事で最も大切にしていることは、やはり大学時代に感じた「人のため、世の中のためになるか」という視点、これを地球サイズの広い視野で考えることです。国際政治経済学部では先生をはじめ、OB・OGからのサポート体制も充実しています。あとは自分の気持ち次第。目標に向かって、まず行動することを大事にすることで自然と道は開けていく環境が整っています。

異なる文化を理解し、
ビジネスの現場で活躍する素養を身につけられる学部

今井 正之
BNPパリバ銀行 東京支店長
(1987年卒業)

恩師の3つの目標が私の原点に

小学校の恩師が、私の6年生最後の通知表に記してくださった三つの目標。地元中学のサッカー部を県大会に導きなさい、勉強を頑張って(時々でいいから)、中学で学年1位になり地元で一番の進学校を目指しなさい、そして最後に、日本から世界に羽ばたく人になりなさいそれが私の原点です。この目標を胸に、中・高とサッカーに明け暮れ、中学で学年1位にはなれませんでしたが、新潟県立長岡高校に進学しました。私達が新入生として入学するまで、部員が11人揃わないようなサッカー部でしたが、それでも3年次には高校選手権で県予選の準決勝に進出しました。しかし、最後の目標は難関です。何しろ明確な達成基準がありません。そこで、国際社会で活躍する人材育成を目指す設立2年目の青山学院大学国際政治経済学部に入学し、世界に羽ばたく道筋を見つけたいと考えました。

徹底した語学教育をもとに国際性を学ぶ


テレビの音声多重放送もない時代、外国人を見かけることもほとんどない地方都市から出てきて、まず嬉しかったのは、本学部の充実した語学教育の内容です。教養課程では、英語と第二外国語をあわせて週の半分以上が語学でした。生きた教材を使い、教授・講師と学生との双方向のコミュニケーションによる実践的な授業で、語学だけではなく、その文化的背景までを学ぶことができました。
徹底した語学教育を基に、専門課程では、国際経験豊かな教授陣から講義を受けました。多くの生涯の友と出会い、リベラルアーツと専門教育のバランスの取れたカリキュラムで広い視野を持つことを学んだことは、卒業から28年経った今でも、公私に亘り生活の糧になっています。

グローバルな視野を養い、世界にはばたけ!

プラザ合意により貿易不均衡の是正と国内市場解放が進む中で就職活動を始めるにあたり、最初は総合商社で世界を相手に仕事をする姿を夢見ていました。しかし、終身雇用と年功序列を前提にした日本的経営に矛盾を感じ、外資系企業では早くから活躍の機会を得られるだろうとの期待から、スイス系の銀行に就職を決めました。

当時の外国銀行の支店長は、ほとんどが本国から赴任してきた外国人でした。スイス人支店長との最終面接で、入行したら何をやりたいかとの問いに、『営業、トレーディング、バックオフィス、全てに興味があります。しかし支店長、本当にやりたいのは貴方の仕事です』と答えました。彼は笑って頷きました。

その後、縁あって今の銀行に転職、3年前に支店長職を拝命しました。私は、マネジメントというのは1+1を3にする役割だと思っています。多国籍間の言葉や法制度や商習慣の違いを理解した上で、個人の能力の寄せ集め以上の成果をチームで目指す今のこの仕事は、全て学生時代に学んだことが礎となっています。
現代社会では、多様な人種や民族と、時には協調し、また時には競争することを避けて通れません。異なる文化を理解し、政治、経済、ビジネスの現場で活躍するための素養を身に付けたいと願うなら、本学部は最も相応しい場所だと思います。
後輩達よ、世界に羽ばたけ!
(2015年9月現在)

国際関係という軸から無限に広がる世界を掘り下げていける

伊藤 友美
独立行政法人国際協力機構(JICA)
(2009年卒業)

ボランティアを通じて自分の将来を見つけた

国際、語学といったキーワードに惹かれて受験しました。入学当初、斜に構えていた私を変えたのは、「自分たちが世界を変える」という熱い思いとやる気に満ちた多くの同級生でした。

学生時代を振り返ると、知的好奇心を刺激される講義に加え、やりたいことは全てやるという貪欲さから、朝から晩までフル稼働の毎日でした。講義の空き時間には、「留学生チューター」として世界中からの留学生をサポートするボランティア活動を行い、週末はイベントのアルバイト。貯めたお金で長期休暇にはインドやタイといったアジアの国々でボランティアを体験しました。

大学3年の春を迎え、周りの友人が就職活動で民間企業の説明会に足を運ぶ頃、まだ動き出せずにいる自分がいました。ボランティアで訪れた開発途上国の子供たちやお世話になったNGOの方々の笑顔が浮かんでいました。悩んだ結果、国際協力の道に進むことにしました。この時、周りに流されて慌てることなく、自分自身と向かい合う時間を持ったことが大切だったと感じます。

自分の可能性を積極的に広げていく職場


フィリピン レイテ島での避難キャンプにて

世界各地への転勤が当たり前の職場です。社会人6年目で、3部署を経験しています。最初は東アフリカのタンザニアで保健医療分野の行政強化を目的としたプログラムを担当しました。日本の2.5倍の国土に、日本の3分の1の人口が散らばっている国で、医療サービスの提供一つとっても、新しい発想が求められました。アフリカの医療従事者に日本での研修に参加してもらう機会があり、「日本の技術や知識をいかに魅力的に伝えるか」という点に関心を抱き、JICAの研修に興味を持ちました。

そこで九州にあるJICAの研修センターへの異動を希望し、北九州市で日本国内のリソースを活用して世界に日本の知恵や技術を発信する仕事を2年ほど担当しました。日本の官・民・学の魅力とその対外的な価値をも外国の方の視点で感じることのできた充実した2年間でした。

現在は南アジア、バングラデシュのダッカに駐在中です。アジア最貧国という代名詞で有名ですが、実際に住んでみると日本の4割の国土に1億5千万人という日本より多くの人口がひしめき合う発展の可能性に満ち溢れたエネルギッシュな国です。これから様々な挑戦を行っていく国ですので、積極的な姿勢でこの国を支える仕事をしていきたいと考えています。

学生時代の挑戦が将来につながる

国際政治経済学部は国際関係論を通じて世界各地の出来事を身近に感じることのできる学部ですので、とくに関心が多岐にわたる方にはお勧めです。皆さんが実り多い大学生活を送られることを祈っています。
(2015年9月現在)