死刑なき時代の到来
(平安時代)

812年薬子の変で藤原仲成が処刑されたのを最後に、 以後347年間にわたって死刑の執行は行われなかった。こんなにも長い間死刑停止状態 にあったのは、日本の歴史のなか後にも先にもこの時期だけだろう。いったいなぜ死刑は 停止されたのか。さまざまな意見がある。日本人は本来温厚な性格で、凶悪犯罪はもともと 少なかった。仏教政策が浸透して、慈悲の精神にあふれていた。死刑の代替性としての流刑が 死刑と同一の効果をあげた。唐が死刑を廃止したのでその影響を受けた、とも言われている。
一面的にとらえるつもりはないが、荘園領主の力が強まって、天皇の権力は荘園領内に 及ばなくなったからではないだろうか。彼らは次第に力を蓄え、国権の介入を許さない 「不入の特権」まで取り付けた。租税の基礎となる耕地面積を調査するために、国司の 派遣する検田使が領内に立ち入るのでさえ領主は拒否した。国司に歯向かうだけの実力を 蓄えていたのである。検地はできず、したがって、税は取り立てられず、荘園領主は免税の 特権も手に入れた。9世紀初め、警察権と検察権を併せ持つ検非違使がおかれたものの、 捜査範囲はほとのど畿内周辺に限られた。荘園内で犯罪が発生しても、領主は彼らの手を 借りず、自ら処罰した。刑罰は「公刑」と「民刑」とに二極分解していった。
公刑として肉刑(手や足を切り落とし、あるいは耳や鼻を削ぐ)や拘禁刑など法律になにかった 刑罰がうまれた。民刑は主に追放刑だった。犯罪者と彼の家族は荘園から追い払われた。